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ブルゴーニュワインの歴史とは?銘醸地の背景を解説

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ブルゴーニュ地方ワインの銘醸地として知られ、今日でも人気のあるワイン産地です。

このブルゴーニュ地方はどのようにして今の地位を固めていったのでしょうか?

今回はブルゴーニュワインの歴史について解説させていただきます。

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ブルゴーニュとは

ブルゴーニュとはフランスの地方の名称で、フランス王国の分封国であるブルゴーニュ公国に由来する地域圏です。

当時のブルゴーニュ公国は、現在のブルゴーニュ地方+フランシュ=コンテ地方+オランダ+ベルギーという広域な公国だったようです。

そのブルゴーニュ公国が細分化され、現在のブルゴーニュ地方が形成されました。

現在のブルゴーニュ地方は、以下の5つの地域に分けられています。

・シャブリ
・コート ドール
・コート シャロネーズ
・マコネ
・ボージョレ

これら5つの地域区分は、ワイン産地としてのブルゴーニュ地方にとって非常に重要です。

一口に「ブルゴーニュ産のワイン」と言えど、どの地区で造られたワインであるのかによってそのワインの特徴は異なります。

ブルゴーニュのワインの特徴

ブルゴーニュで造られたワインの特徴としては、どの地区でも主に単一品種を使用してワインを造っていることです。

単一品種でワインを造ることにより、ヴィンテージや地質などの微気候(テロワール)の特徴が反映されやすくなるのです。

使用されている単一品種は、主に白はシャルドネ(またはピノブラン)赤はピノノワール(またはガメイ)です。

シャルドネとピノノワールは、特にテロワール(その土地が持つ土壌や気候などの条件)を反映しやすい品種として知られています。

このテロワールの重要性にいち早く着目し、微気候の違いで畑の細分化・階層化を進めてきたことは、ブルゴーニュの大きな特徴です。

シャルドネとピノノワール

シャルドネは品種として個性はあまり強くはないため、ニュートラルな性質をもつ白ブドウ品種です。

そのため栽培地域の特徴や、生産者の意図・意思を反映しやすい品種と言われています。

ピノ ノワールは品種としての個性は強いのですが、その繊細な風味のためテロワールを強く反映します。

ではブルゴーニュ地方についての説明はこれぐらいにして、ブルゴーニュワインの歴史についてみていきましょう。

ブルゴーニュワインの歴史

2~3世紀頃、ローマ人によってブルゴーニュへとワイン造りが伝えられました。

そしてブドウ畑の開墾が進んでいったのは、西暦600年頃からです。

教会と貴族

この時代の優れたブドウ畑は、すべて貴族や教会が所有していました。

権力者の下へと土地が集まるのは自明のことかもしれませんね。

その中でも特に大きな役割を果たしたのが『教会』です。

教会の修道士達はブドウ栽培を熟知し、ワイン造りの技術を磨き、ワインの品質の向上に努めました。

教会はその過程で、ピノノ ワールとシャルドネを所有していた畑に栽培し、畑をその特性に分けて細かく区分けを行いました。(ピノノワールとシャルドネは「伝染病に侵されやすく」「収量が低い」にも関わらずです)

これは教会が残した、大きな功績のひとつです。

それによってより高品質なワインを造ることができるようになりました。

この時代に高い品質のワインを生産することは、所有者にとって真の貴族の証と言っても過言ではありません。

ワインが所有者の政治的・社会的栄光に花を添える役割を担っていたのです。

ペストの流行

そのような中、1349年にペストがブルゴーニュ地方で大流行してしまいます。

僧侶達はペスト患者を看病する際に感染し死去し、教会にもペストが広まってしまいました。

ペストの蔓延によって人手不足になり、ブドウ栽培をしている場合ではなくなります。

その結果ブドウ畑は荒れ、朽ちてしまいました。

この時期の約14年間は、ほとんどブドウが収穫されなかったようです。

ペストが終息し、いざブドウ栽培を再開しようとしても、繊細なピノノワールは手入れを怠った畑からは粗末なブドウしか実らせませんでした。

そこで注目されたのがGamey(ガメイ)です。

ガメイの隆盛

ガメイ(ガメイ ノワール ア ジュ ブラン)は伝染病に強く、ピノ ノワールの3倍ほどの収量が期待できるブドウ品種です。

そのためピノノワールに代わってガメイを栽培すれば、あまり手を掛けずに大量のワインを生産することが可能です。

荒れ果てた畑から粗末なブドウを少ししか実らせないピノノワールよりは、ガメイを植えた方がお得ですよね。

そう考える人は多く、この時期ガメイの栽培は大きく広まっていきます。

ガメイは特に格下の畑で重用されていましたが、ガメイから当時造られたワインはあまり質の良いものではありませんでした。

そして1395年、フィリップ剛胆公はガメイを根絶するように命令します。

フィリップ剛胆公はガメイから造ったワインを「えぐみがきつくぞっとする」と表現しています。

以前飲んでいたピノ ノワールとは、品質に大きな差があったのでしょう。

しかしこの命令は浸透せず、ガメイの栽培は続きました。

低い品質のワインが多く出回ると悪い面ばかりが目立ってしまいますが、悪いことだけではありません。

以前は貴族たちの飲み物であったワインですが、このガメイの隆盛により大衆にまでワイン文化は広がったのです。

そして世界史における大事件、フランス革命の時代に入ります。

フランス革命

1789年にフランス革命は起こりました。

このフランス革命はもちろんワイン界にも大きな影響を与えます。

貴族や教会の資産は没収され、所有していた畑は競売にかけられたのです。

残念ながらこの競売にはブルジョワ層しか参加できなかったようですが、フランス革命によりついに市民が格式高い畑を手に入れることができたのです。

しかし銘醸畑を手に入れることが出来たのは、まだまだ一部の裕福な市民だけです。

そのため1855年の時点では、いまだにコート ドールの87%でガメイが栽培されていたようです。

そして皇帝ナポレオン ボナパルトの「ナポレオン法典」も、今日のブルゴーニュに大きな影響を与えています。

ナポレオン法典

ナポレオン法典により、今まで長子単独相続であった形態が変わり、子供が何人いても均等に相続することになりました。

平等ではあると思うのですが、畑は相続されるごとにに細分化されていきます。

今日のブルゴーニュの畑の細分化は、この影響がありますね。

フィロキセラ

19世紀に世界中で猛威を振るったフィロキセラ

ブルゴーニュ地方も例外ではなく、その猛威にさらされてしまいます。

ブルゴーニュでは主に単一品種を栽培していたことで、より壊滅的な被害を被ることになってしまいました。

病害に強いブドウなども栽培していれば、もう少し被害を抑えられたのかもしれません。

フィロキセラについて詳しくはこちらを参考にしてください。

壊滅的な被害を被ってしまった畑の価値は低下し、多くの畑が放置同然の状態となってしまいました。

そのような畑は価格も下がります。

喉から手が出るほど銘醸畑を欲していた一般市民達はこれを見逃しません。

ついに、ガメイで資金を蓄えていた一般市民達が銘醸畑を購入できるようになったのです。

ネゴシアンによる販売

自社で瓶詰めをする設備やノウハウのない生産者達は、ネゴシアンにワインを販売します。

ネゴシアンはフランス革命後から登場し始め、ブルゴーニュワインのブランド力を利用してワインを世界中へと輸出していました。

大量のワインを購入し、販売をするネゴシアンの役割は、非常に重要なものでした。

しかし良いことばかりではありません。

不正にワインをブレンドしたり、偽物のワインをブルゴーニュと偽って販売するなどネゴシアンによる不正が横行

ブルゴーニュの生産者達はネゴシアンへの不信感が募ります。

今日のブルゴーニュへ

そのような不信感の中、1930年頃からドメーヌ元詰めを行う流れが出来てきました。

ネゴシアンによって広く大量に販売されるワインよりも、品質に重点を置いた、不正のないワイン販売が始まっていきます。

このような流れで、今日のようにドメーヌ元詰めが一般的になっていったのです。

最後に

今回はブルゴーニュワインの歴史について解説させていただきました。

歴史や背景を理解すると、いつもよりもワインが美味しく感じられますね。

今日はブルゴーニュ ワインが、飲みたくなりませんか??

最後までお読みいただきありがとうございます。

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